安室奈美恵さんとコンビを組み、『ポンキッキーズ』で大ブレイクし、国民的人気者になった鈴木蘭々さん。23歳でやりたいことがすべて叶ってしまったとか。満足感や充実感の先に見えてきたものがあるそうです。(全4回中の1回)
CMオーディションにサンタのコスプレで行ったら
── 13歳で少年漫画雑誌主催の『ミスチャンピオン』準グランプリに選ばれ、グラビアデビューした鈴木さん。芸能界入りのきっかけは?
鈴木さん:物心ついたときから歌が好きで、松田聖子さんの歌を家でよく歌っていました。芸能人になるにはどうしたらいいかずっと考えていたのですが、原宿でスカウトされた人の話が載っている雑誌を目にしたんです。「原宿に行けばなんとかなるんじゃないかな」と原宿を歩き回っていたら、スカウトされました。
10代はまさかのロングヘア
── 思いたったらすぐ行動、すごいですね。デビューまでは順調で、その後は?
鈴木さん:その後、CMのオーディションを何度か受けましたが「私って、応募者の中では悪い(ダメな)部類なのかな」と感じるほど、とにかく落ちまくりました(笑)。自分では目立ったほうがいいと考え、サンタを彷彿とさせるような色合い・デザインのワンピースや、森の妖精をイメージした緑のワンピースにツインテールにリボンという、若干コスプレ的なファッションで挑むこともありましたが、クライアントはそんなキャラクターを求めていませんでした。事務所からは、「髪を切ってはいけない」などオーディション合格のためのいろんなアドバイスをもらいましたが、ことごとく反発しました。年齢的にもちょうど反抗期で大人に縛られるのが嫌だったんですね。
2年連続CM女王に輝いたころの鈴木蘭々さん
── チョーヤ梅酒株式会社「ウメッシュ」などのCMに出演し2年間CM女王に輝いた鈴木さんが、オーディションでそんなに苦労したとは想像しませんでした。オーディションに落ち続けると、つらくなりませんか?
鈴木さん:落ちこんだり、つらいと感じてメンタルをやられた記憶はまったくありません。私って、子どものころからひょうひょうとしたところがあり、自分に対する周りの評価は、基本的にあまり気にしないタイプなんですよね。やっとCM出演が決まったときも、飛び上がるほど嬉しいはずなのに、どこか傍観者のようで、他人事みたいな感覚でした。
『ポンキッキーズ』、楳図かずおさん…夢がかなった
── 低迷期を経て、売れるきっかけは何かあったのでしょうか?
鈴木さん:小さな個人事務所に移籍して、社長とマンツーマンでゼロから営業を始めました。起業のために社長がベンツを売って、家の電話一本から始めたような会社で、社長は営業、私はひとりで現場へ、という日々でした。そんなとき、CMなどの業界でも有名な前田良輔さんの目にとまり、資生堂のティーン向けCMに起用され、その後にドラマ出演など道が開きました。
── 資生堂のCM起用から、ドラマやバラエティ番組に活躍の場が広がっていったのですね。
鈴木さん:そのころ、ずっと出たいと思っていたのが『ポンキッキーズ』。オーディションのためにフジテレビに行き、選考の待ち時間に事務所の社長と休憩のために喫茶店に入ったんです。そこへスタッフさんが来て「何か頼む?」と言われ、メニューを見て珍しかったので「メロンパフェ食べたいです」とオーダーして、その方と楽しくおしゃべりしました。ひとしきりしゃべって、メロンパフェを食べ終わり、「会場に移動しよう」と席を立ったら、そのまま帰されたんです。そこでようやく、さっきまで私が言いたいことを言って笑ってしゃべっていた相手が、『ポンキッキーズ』のプロデューサーだと気づきました。
おそらく、ふだんの自然な状態の私を見て判断するために、通常の会場オーディションではなく、オーディションだと気づかない喫茶店での対面になったのでしょう。「いまのが、オーディション!?」とびっくりしましたが、あとの祭り。でも、大好きな番組なので受かって本当にうれしかったです。
── その『ポンキッキーズ』では、安室奈美恵さんとコンビを組み、ウサギのぬいぐるみを着た「シスターラビッツ」として、大ブレイク。国民的アイドルとして人気を博しましたが、どんな気持ちでしたか?
鈴木さん:実感がわかず、傍観者のような気持ちで状況を眺めていました。自分はスタジオでカメラに向かっているだけなので、テレビの向こうに何千万人もいると想像できなかったんです。現在はSNSがあるので、発信されたものはすぐに手ごたえを感じられますが、当時はまったく状況が違いましたね。
── 意外にも売れても淡々としていたのですね。でも、20歳ころに幼少期からの夢をかなえるなんてすごいです。
鈴木さん: 23歳のときに、子どものころからの夢がすべてかないました。ふつうなら、満足感や充足感のようなものがあってもいいはずなのに、そのときも「夢が全部かなうってこんな感じなんだ」と思っただけでした。どこか、いつも冷めている自分がいましたね。
── 落ちついていたのですね。長年出たかった『ポンキッキーズ』に出演がかないましたが、ほかに夢がかなったことはありますか?
鈴木さん:ずっとお会いしたかった漫画家の楳図かずお先生に雑誌インタビューの企画でお話を聞きに行ったことは、忘れられません。小学生のころ、楳図先生の『漂流教室』を書店で立ち読みし、感動しすぎてそのまま塾に行くのを忘れるほど、衝撃を受けました。だから、いつか自分が楳図先生に会えるような立場になって、絶対会いに行くんだと心に決めていたんです。とくに『14歳』という作品は、さんざん話が広がって大宇宙の外側までいっちゃうくらいなのに、予想だにしない展開となり、「え!?これで終わるのか!」という衝撃の結末を迎えます。この結末の意図をずっと聞きたくてしかたなかったんです。
── 鈴木さんのファンならではの質問に、楳図先生も驚かれたのでは?
鈴木さん:そこはわかりませんが、おやつにおはぎが出てきてびっくりしました(笑)。おはぎって仏様にお供えするイメージだったので、「あら、私、仏さまになっちゃったの」って。ほかにも、先生が食べかけのお菓子をわけてくれたり(笑)。
── お話からの印象だけですが、親しみを持てるフランクな方なんですね。その後、楳図先生とは? 楳図かずおさんが亡くなられたとき、鈴木さんは急きょインスタライブで熱く思い出を語ったそうですね。
鈴木さん:楳図先生が吉祥寺に引っ越されてから、井の頭公園をお散歩されている姿を見かけました。でも、ゆったり過ごしたいようにお見受けしたので、声はかけませんでした。
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「もうやりきった感じ」とまどいの中で歩んだ先
── 当時をふりかえると、1996〜1997年と2年間連続でCM女王になるなど多忙を極め、かなり忙しかったでしょうね。
鈴木さん:「2年半、休みがなくて大変でしたね」と、よく言われますが、マネジャーやまわりのスタッフも休みがなくて全員が大変でした。皆余裕がなくなって、バラエティ番組でいいコメントを残せなくて怒られたり…。でも、あのころは私もスタッフも、皆本当に一生懸命でしたよ。
── 多忙の中、心境の変化はありましたか?
鈴木さん: 自分の中で「やりたいことの引き出し」が枯渇した時期がありました。デビュー当時は、アメリカの少年みたいなイメージでやりたくて、次のテーマは王子(笑)で、髪型をマッシュルームボブに。こんなふうに、昔は自分のなりたいビジュアルキャラに自分を近づけて鈴木蘭々を演じて楽しんでいました。でも、それにもだんだん飽きてしまい、あるとき「次、どういう感じで行こうかなぁ」と考えたときに、何も浮かんで来なかったので、立ち止まってしまいました。
── やりたいことをすべてやりきった状態。たしかに、次を考えるのは難しいかもしれません。
鈴木さん:それで心機一転、もともとマドンナさんが好きだったし、大好きなニューヨークにも行ってみたい、と社長に相談したら、「いいよ」と意外な返事をもらったので、2か月間、ニューヨークに行きました。現地では舞台を観て、歌やダンスのレッスンを受けて、ふつうの生活を送りましたよ。
── ニューヨーク生活が、鈴木さんに与えた影響は?
鈴木さん: 日本では心のどこかで、「芸能人だから、鈴木蘭々だから」優しくしてくれているだけなんじゃないだろうか…とか考えてしまい、素直にまわりの優しさを受けとめきれない自分がいました。でも、アメリカでは、私のことなんか誰も知らなくても、私をひとりの人間として尊重してもらえて、とても嬉しかったです。アメリカ人たちの優しさに触れたのは大きかったです。
PROFILE 鈴木蘭々さん
すずき・らんらん。1989年、資生堂CMでデビュー。1994年に『ポンキッキーズ』で安室奈美恵とのユニット「シスターラビッツ」でブレーク。歌手、モデルなど幅広く活躍し、2年連続CM女王に輝く。2013年に化粧品会社WOORELLを起業。2023年に、芸能生活35周年記念のベスト盤『鈴木蘭々 All Time Best〜Yesterday&Today〜』をリリース。
取材・文/岡本聡子 写真提供/鈴木蘭々、WOORELL 株式会社