51歳で孤独死した準主犯格Bの再犯の背景…義兄「普通ではない」更生を妨げた妄想「女子高生コンクリート詰め殺人」加害者の“その後”②

51歳で孤独死した準主犯格Bの再犯の背景…義兄「普通ではない」更生を妨げた妄想「女子高生コンクリート詰め殺人」加害者の“その後”②

(HBC北海道放送ニュース)

旭川女子高生殺人事件、江別男子大学生集団暴行死事件…北海道では去年、未成年や若者による凶悪事件が相次いだ。少年による刑法犯数が戦後ピークを迎えた1980年代。「史上最悪の少年犯罪」といわれるのが1989年に起きた東京都足立区綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件だ。事件の加害者のひとりである準主犯格のBが、3年前に孤独死していたことが今回新たに判明した。2000年から加害者や親、関係者に行ってきた独自取材や裁判・捜査資料から、知られざる加害者の「その後」をリポートし、矯正教育や社会での処遇について考える。(HBC報道部 山﨑裕侍 ※3回シリーズの2回目 肩書や年齢は取材当時)■「被害妄想の塊…普通ではない」義兄が感じたBの素性不安になるほど長く暗い廊下を私は歩いていた。2004年7月、東京拘置所に勾留されている男に会うためだった。男とは、1989年に足立区綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件の準主犯格B。Bは出所後の2004年5月、知人の男性に対して「お前、女、とっただろう」「殺すぞ、俺は人を殺したことがあるんだぞ」などと脅迫。顔面を殴打するなど暴行を加え、埼玉県三郷市の母親が経営していたスナックに監禁し、けがをさせた疑いで逮捕された。私がBと面会したのは、初公判を2日後に控えた日のことだった。アクリル板の向こう側のドアが開き、Bはひょっこり現れた。身長180センチあまりの長身で、茶髪を短く刈り上げ、白いTシャツに短パン姿。事件の凶暴さとは裏腹に、どこにでもいるような人間に見えた。Bは再犯にいたる経緯を語り始めた。B「自分はF組の構成員になりました。5月8日にS氏と殴り合いのけんかとなり、組をやめました」記者「なぜ暴力団組員になったのか?」B「話すと長くなるので手紙で書きます」なぜ事件を起こしたのか私の質問には饒舌に答えるものの、内面に深く立ち入ることは許さず、取材者である私を警戒しているようだった。Bはなぜ再び転落したのか。「私は彼が被害妄想の塊だなと思っています。普通ではないです」こう話すのは、Bの姉の夫である義兄(その後離婚)だ。義兄はBとBの母親を支援していた。女子高生コンクリート詰め殺人事件で実刑判決を受けたBは、3つの刑務所で計8年間服役した。1999年8月4日、28歳のときに満期で出所。その後、コンピューター関連の派遣仕事に就いた。髪の毛を黒く染め、スーツとネクタイ姿で職場に通う日々。更生に向けたスタートは順調かに見えた。だが、仕事は4年ほどで辞めてしまう。職場の同僚が、コンクリ詰め事件のことを噂したり、自分の名前を囁いたりしているというのだ。だが派遣元の会社は、そのような事実はなかったと取材に答えた。真偽は定かではない。■再犯は「拘禁反応の中で形成された被害妄想の影響」と専門家指摘Bには10年に及ぶ獄中生活で、拘禁反応による妄想が現れていたとみられる。刑務所など刑事施設に長い間拘束されると、もともと精神障害がなくても、神経症や妄想、幻覚などの症状が現れることがわかっている。300件もの精神鑑定を経験した犯罪精神医学の小田晋氏は、Bの再犯は妄想の影響があったと分析した。精神科医・小田晋氏「職場でコンクリ詰め事件の噂をされたとか、彼の前科や実名も知られているというのはBの思い過ごしです。一種の逆恨みですね。なぜ逆恨みが生じたか。拘禁反応の中で形成された被害妄想的な態度が矯正されないまま社会に出てしまったためです。これが今回の犯行に直結するさまざまな被害者とのトラブル、それから被害者に対するBの恐怖心や誤解は被害妄想的な態度から出ている。Bの状態は『妄想性障害』の傾向。あるいは刑務所の中で彼がもともと持っていた『妄想性人格障害』の傾向が発展してきたということが考えられる」(2005年取材)ある日、Bは母親を次のように疑ったという。義兄「『自宅に隠しカメラとかマイクがあって、俺のことを監視してる』だとか。今回の事件のきっかけになる相手に『情報を送ってる』だとか、話がもう支離滅裂ですよね」Bが幼いころに家を出ていった父親も、刑務所には何度か会いに行ったと話す。記者「刑務所で会ったときのBはどんな様子だったか?」父親「おとなしかったよ。だけど刑務所でもだいぶ暴れたみたいだね。『(刑務官に)殴られた』と言っていた。頭がおかしくなっちゃったんだよね、多分」■勤務先の給料未払いトラブルをきっかけに、暴力団との関係を深め…ある人物との出会いをきっかけに、Bはさらに転落していく。Bは働いていた会社との間で給料が未払いとなるトラブルを抱えた。すると母親が知り合いのH氏に相談。そのH氏が連れてきたのが山口組系暴力団組長のS氏だった。Bは次第にS氏と付き合いを深めていく。息子が更生の道から外れていく姿を、母親は黙って見ているしかなかった。記者「息子さんを止めようとはしなかったんですか?」母親「私が止めても難しいので、本人の判断に任せようと思いました」記者「コンクリート詰め殺人事件のことをS氏は知ってた?」母親「息子が自分で言ったみたいです。S氏が息子を連れ歩いているときに『こいつは、コンクリの人殺した奴だよ』ってみんなに言いふらしていたらしいです。それは本人が言っていました。どこに飲みに行っても、そういう言い方をすると」記者「本人は嫌そうでしたか?」母親「はい。でも誰も友達がいないから、誘われると行っていたみたいです」私宛の手紙の中で、再犯事件の被害者も暴力団関係者であり、被害者の言動がきっかけで思わず暴力をふるってしまい、監禁するつもりはなかったとBは主張した。事件の動機について、判決では、Bが好意を寄せていたジムのインストラクターの女性と被害者の男性が交際していると思い込んだためとしている。Bが好意を寄せていた女性は、取材にきっぱりと語った。ジムの女性インストラクター「私がBと交際していた事実はありませんし、被害者の男性については名前すら知りません。しかしBは、私に、知らない人の名前を挙げて、『この人間と付き合うな、遊ぶな』などと意味不明なことを言っていました」■Bの再犯に弁護団の一人「世間に申し訳ない。結局、救えなかった」一方、Bが再犯した背景を別の角度から見る人物がいる。コンクリ詰めの裁判でBの弁護団のひとりだった伊藤芳朗弁護士だ。伊藤芳朗弁護士「Bはもともととても優しい子だったですね。だけれども親とのすれ違いが重なっているという不幸がありました」Bはコンクリ詰め事件を起こす前から親子関係で問題を抱えていたと指摘する。伊藤芳朗弁護士「Bはすごくお母さん思いだったのに、お母さんが彼のそういう気持ちに気づけてあげられなくて、すれ違いが生じる中で、どんどんどんどん親子での諍いが大きくなっていった。Bの父親は家族を置いて出ていってしまっていますから、母親が父親の分も自分が役割を果たさなきゃという考えがあった。母親としての優しい部分で接するのではなく、厳しい接し方をする方がいいんだと勘違いした面はあったと思います」コンクリ詰め事件での服役後も、親子関係は改善しないまま、もとの環境に戻ってしまった。伊藤芳朗弁護士「Bは出所後、とても反省するとともに、二度と過ちを犯さないように頑張るんだっていうことは言ってはいました。出所後また母親のもとに帰ったんですが、すぐに親子の間でうまくいってないという話もあった。それがとっても気がかりでした」Bは満期出所したため、仮出所が受けられる生活や医療などの公的サポートは得られず、いわば社会に放り出された格好だった。伊藤弁護士は担当弁護士がもっとBに関わることができたはずだとして、再犯したことについて「世間に申し訳ないと思います。結局、救えなかったという。残念な気持ちです」と悔やんだ。再犯事件での判決で東京地裁の菊池則明裁判長は、「今度こそ本当の意味での再出発、人生のやり直しを期待しています」とBに語りかけた。だがBの更生をさまたげた妄想については、最後まで裁判で議論されることはなかった。Bは府中刑務所を出所した後、自宅に引きこもり、社会から隔絶した日々を送った。被害者遺族への償いも、人生のやり直しも果たせないまま、生涯を閉じた。3回目は、ほかの加害者たちのその後と、Bの孤独死から浮き彫りになる刑務所の矯正教育の課題と出所後の支援について考える。

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